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歴史史跡
新宮の史跡
 新宮は、平安時代以降勢力を誇った熊野別当が根拠を構え、南北朝時代には源氏の子孫である新宮周防守(すおうのかみ)がこの地を支配しました。その後戦国時代に奥熊野を統一した堀内氏の根拠地となり、関ケ原の戦で敗れた堀内氏にかわり、江戸時代初期には浅野氏の奥熊野支配の中心地となり、続いて、国替えにより、紀州藩主の初代徳川頼宣の付家老(つけがろう)である水野氏が居城を構えました。その後は水野氏の長い統治が続き、新宮城の城下町として栄えました。市内には、これらの歴史を今に伝える史跡が多数存在しています。

 


 

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 別名丹鶴(たんかく)城跡。市街地の北、熊野川を背にした高台にあり、東に河口をこえて太平洋を一望でき沖見城とも称された。現在では公園として整備され、石塁の残る城跡に立てば、その眺望が実にすばらしい。(JR新宮駅より徒歩8分)
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 合議制で新宮を支配した七上網(しちじょうこう)の一人「周防守行栄(ゆきひで)」の屋敷。元亀2年(1571)に下熊野地の新宮十郎行家の屋敷より本広寺(ほんこうじ)に移った。現在、屋敷跡は本広寺となっている。
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 戦国時代、熊野別当の補任を受けた七上網の上に立ち、奥熊野の地を治めた堀内氏の屋敷跡。関ヶ原の合戦で西軍に味方し敗戦、肥後国へ逃れる。現在は全龍寺(ぜんりゅうじ)となっている。

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 新宮城主水野家歴代の墓碑がまとまった形で現存している。初代藩主水野重仲(しげなか)の分骨を納めて以来、昭和3年まで順次墓碑が建てられた。16基の墓碑が並ぶ。
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