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新宮城跡 高ヒット
2007-12-24 9:28 投稿者: shingukk (記事一覧) [ 25178hit ]
新宮城跡
新宮城跡
新宮城跡は、昔からお城山と呼ばれ、郷土の文豪・佐藤春夫の小説「わんぱく時代」の舞台となったところでもある。新宮城は元々丹鶴姫が住んでいたということから「丹鶴城」、または、熊野川河口の先に太平洋を眺められることから「沖見城」とも呼ばれる。平安時代(今から1,000年ほど前)当地を治めていた熊野別当が別荘を建てていたこの場所に、新宮十郎行家が始めて城を築いたともいわれる。
正式には、1,601年・浅野忠吉が築城に着手したのが始まりである。同年、浅野忠吉は寺地を城地にするために、東仙寺、崗輪寺(宗応寺)を他所へ移転したとある(紀伊続風土記)。1,615年(元和元年)の一国一城令で廃城を命ぜられるが、場所的に重要な城として、3年後再建を許可された。翌年、忠吉が三原に移封したため築城工事が中断したが、紀州徳川家の付家老・水野重仲が新宮を領することになり、工事が引き継がれた。1,633年(寛永10年)第二代城主・重良の時に一応の完成をみた。小さいながらも、地元の熊野酸性火成岩を用い石塁を積み上げた優美な平山城が竣工した。小粒だが完成度が高く、日本一の名城とも言われたようだ。惜しくも1,871年(明治4年)廃城となり、1,875年(明治8年)には、建造物がすべて取り壊された。大正年間には、堀も埋め立てられ丹鶴町ができた。現在の正明保育園の場所は「二の丸」と呼ばれ、領国支配の政庁の中枢機関があったところで、その向かいのNTT跡は、城主の日常的な屋敷があったところである。登城のための大手道は、二の丸の北側(川寄り)からカギ形に屈曲して松の丸に登るもので、鐘の丸を経て本丸に至るようになっていた。
今は、昔の栄華をしのぶお城の石垣だけが残されている。石垣の石積みは目を見張るほどの美の極致を表現している。国の史跡指定がなされているので国宝級のもの。今で言えば最高級の技術集団の作品である。なぜこのように優れたものが造られたかといえば、徳川家ゆかりの重要な城であったため念入りに造られたからである。位置的に紀州と尾張の中間にあったこともそのひとつだといわれている。新宮藩のランクは3万5千石だから下級であるが、実質は数十万石もの力があったとも言われている。
水の手郭には港があり、軍港とともに経済的物流港の役割も果たし、上質の炭や鯨油を江戸に販売していた。炭は江戸の炭消費量の3割を賄ったといわれる。第九代城主・水野忠央(ただなか)は、他藩が羨む大富豪であった。
与謝野寛(鉄幹)の歌碑
「高く立ち秋の熊野の海を見て誰そ涙すや城の夕べに」
与謝野鉄幹が明治39年来新、大石誠之助、北原白秋らと熊野を漫遊したとき詠んだ歌。

新宮城跡の住所:新宮市新宮7691-1
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