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寺町 高ヒット
2007-12-22 13:43 投稿者: shingukk (記事一覧) [ 16656hit ]
□ 明治22年の水害の水位
□ 明治22年の水害の水位
新宮の寺町に残る主な文化財を神倉神社側から速玉大社に向かって紹介します。(以下、新宮市教育委員会「ふるさと新宮・文化財をたづねて」より)
★宗応寺(住所:新宮市千穂1-3-34) 石造五輪塔=6基のうち最も古い塔は、1,606年の「関芝宗応居士」の五輪塔で、元新宮城主浅野氏の墓。(宗応寺は丹鶴山から移された)木造聖徳太子(二才礼拝)立像=聖徳太子が2才のとき、東方に向かって「南無仏」と唱えたという言い伝えにより作られた檜材を組合わせた寄木造像。14世紀頃のものといわれる。県指定文化財。
★全龍寺(住所:新宮市千穂1-9-29) 戦国時代(1,500年代)豊臣秀吉の代官として堀内氏が熊野を支配した。その屋敷跡が全龍寺で、周囲を堀で囲んだ城のような建物だった。今は西側に堀の面影を残す小川が流れている。
★本広寺(住所:新宮市口山町656) 南北朝時代に熊野別当に代わり新宮で勢力をはった、武士化した7人の上位役僧(七上綱)の一人、新宮周防守(すおうのかみ)の屋敷跡。周防守行栄(ゆきひで)は新宮十郎行家の子孫といわれ、後に堀内氏善(全龍寺)によって滅ぼされる。本広寺境内には、江戸時代の江戸千家茶道の大家「川上不白」(新宮出身)が先祖供養のため、法華経を小石に一字づつ書き、埋めた上に1,797年「書写妙法蓮華経印塔」が建てられている。また、本広寺本堂内には、日蓮上人が悟りの世界を仏の形であらわした十界互具像という16体の木造がある。江戸時代の製作といわれ、他ではほとんど見られない貴重なものです。
★瑞泉寺(住所:新宮市薬師町2?14) 瑞泉寺には、1,685年から1,955年(昭和30年)まで270年余り、新宮の人々に時刻を知らせてきた「大寺の梵鐘(ぼんしょう)」があります。直径79cm、高さ118cm、重さ600kgあり、1,660年代本町在住の小西氏が先立った子供の供養に寄進し、1,705年紀宝町成川の山口兵作只義が作りなおしたと鐘に刻まれています。
★清閑院(住所:新宮市薬師町259) 本堂は欅(ケヤキ)材を使い、屋根は丸瓦と平瓦を組合わせた本瓦葺、屋根上の大棟から四方に葺きおろした寄棟造り、中世以来の禅宗寺院の方丈建築は300年以上歴史のある貴重な建物です。また、当寺に保存されている香時計は1,790年?1,800年頃のもので、一辺が40cmの木製箱に7本の溝をつけた薄い板を置き、溝に抹香を満たし、抹香の端に火をつけると全部燃え終わるのに一日かかる仕組みになっている。別名「常香盤」といわれ、時刻を知るより仏前に香を絶やさないようにしたものと考えられる。清閑院の石垣には明治22年の水害の水位を示した看板がある
★別当屋敷跡(瑞泉寺界隈) 古代から中世にかけて、熊野三山を中心に宗教・政治的に支配した最高位の役僧であった「熊野別当」が住んでいた屋敷跡(新宮信用金庫裏から大王地一帯)。現在は道端に標柱があるだけですが「別当屋敷」という町名は今も人々に親しまれています。
★寺町界隈では、熊野別当→新宮周防守→堀内氏→浅野氏→水野家と新宮を治めた人々の歴史を垣間見ることができます。また、他では、神倉神社の「中の地蔵堂」の再建・修理を担当し「中の地蔵本願」とも呼ばれた天台宗の尼寺・神倉社本願寺院の「妙心寺」や清涼寺の北側(龍鼓滝側)には、神武天皇が大和への御東征の際の頓宮跡(休憩所)と伝わる渡御前(わたりごぜん)神社もあります。一度この界隈をゆっくり歩いてみてはいかがですか?千年の歴史があちこちに発見できるかもしれませんよ。
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