新宮弁講座 ホームへ 新宮市概要 新宮市周辺地図 新宮観光案内 新宮のまつり 宿泊ガイド アクセスガイド 熊野古道を歩く 新宮市語り部の会 最新ニュース クチコミ情報 お店情報 画像ギャラリー 新宮ガイド わがらの新宮弁 新宮モダン リンク集

悩んでないで熊野においでよ!NO,19

執筆 : 
shingukk 2009-9-24 14:41
瀞峡ウォータージェット船乗り場がある志古から五分ほど車で川下に走ると、「熊野川の川舟下り」の乗り場・川舟センターがある。

川舟は、流域の人々や熊野三山にお参りする人々の重要な交通手段として、昭和30年代まで、筏流しと共に熊野川の風物詩であった。国道が開通すると共に、人々や木材は、陸路を利用するようになり、次第に姿を消していった。
筏流しは最盛期には九百人余りの筏師が活躍しており、明治時代の中頃から昭和十七年頃までは、夏季、特に雨が多いこの地方では、川の増水により筏の出荷量が減るため、中国と北朝鮮国境の鴨緑江(おうりょくこう)に、出稼ぎに出たという。その当時は、勝浦港から船で大阪に出て、大阪から下関まで汽車に乗り、更に、関釜連絡船で釜山に、そこから汽車を乗り継ぎ、筏の出発点・恵山鎮まで行った。恵山鎮から河口まで約二百里(800km)、二週間近くかかって下ったという。しかし、稼ぎは、内地より何倍も良かったらしい。昭和39年、熊野川の筏流しの歴史は終わった。しかし、十五年後の昭和54年(1,970年)八月、北山村で五月から九月の間、観光筏下りとして復活した。最近では、若い後継者が筏の棹指しの技術を習得している。「棹三年、櫂八年」と言われた筏流しの技術を後世に引き継いでほしいものである。
また、熊野川の交易を一手に引き受けて、長い間働いてきた団平(だんぺ)という川舟も、昭和30年代に建設されたダムによって姿を消した。全長11m前後、幅1,5mほどの杉の木でできた木造船で、四月から十月は南風が吹き、帆をあげて川を上った。風のない時には、二隻を四人がかりで曳いた。前のめりで川原を進む様を絵図で見たことがある。物資を積んだ団平を流れに逆らって引っ張ることはかなりの重労働だったようである。この川舟も熊野川が川の参詣道として世界遺産に登録され、熊野古道を歩く人が増えたこともあり、平成17年9月、本宮大社と新宮の速玉大社を結ぶ道の一部として復活したのである。語り部が同乗して、川沿いのガイドをしてくれる。川舟下りの乗り場といっても、特に何もない。川原に直接船をつけて乗船する。船が岸を離れると目の前に切り立った山が迫り、滝や奇岩が続く。道路から見る景色と違って迫力がある。約16km、1時間半かけて新宮・速玉大社横の権現川原まで下る。下船場所も乗船場所同様、特に何もない。直接川原に船をつけるのである。しかし、昔は、この川原に川原町があって賑わいを見せていた。


平成19年川原家横丁が速玉大社の横にオープンした。
伊勢と熊野の交通の要衝として、また、熊野川流域の産物の交易の場所として、江戸時代から昭和にかけて、熊野川河口権現川原には、簡易住宅・川原家(今で言うプレハブ)が建ち並び、賑わいを見せていた。
(古くは、熊野年代記に778年奈良時代、新宮川原に十一軒が建ったが大水で流失したとある。また、平安時代にも存在したことが推察される)
最も賑わったのは、明治末から大正時代にかけてで、最盛期で300軒以上もの川原家が軒を並べた。しかし、昭和10年熊野大橋ができ、成川の渡しがなくなり衰退していった。昭和25年最後の1軒の鍛冶屋が引き払って川原町がなくなった。
川原町での代表的な商売は宿屋。次いで鍛冶屋、飲食店と続き、みやげ物屋、魚屋、履物屋、米屋、たばこ屋、酒屋などなど・・・
標準的な川原家は、間口2間、奥行3間の6坪(約20平方メートル)12畳
宿屋は、町中にある宿屋は料金が高いため、筏師や船頭が川原町の宿屋をよく利用した。冬場は、筏が多くなったので棟を継ぎ足して増室した。
鍛冶屋は筏を組むためのかん=かすがいを造る鍛冶屋が多かったが、他にも山仕事の道具などを造る鍛冶屋もいた。
取引された商品は、熊野川流域からは、材木、炭、鉱物(銅、石炭など)、木工品、農産物、獣肉、などなどが運ばれた。
反対に米や塩、海産物、日常の生活必需品を買って持ち帰った。
川原家の人々は、船町、相筋に家を持ち、そちらを揚がり家と呼んだ。
水が出たときは、揚がり家に川原家をたたんで非難した。
「川原よいとこ3年3月、出水さえなきゃ蔵が建つ」とまで唄われた。


川舟センターを少し過ぎたあたりで、助手席の彼は目を覚ました。
「気持ちよさそうに寝てましたね。」
「あっ、すみません。つい・・・ウトウトしてしまって・・・どれ位寝てましたか?」
「いやぁ・・・ほんの10分程度ですよ。」
「そんなもんですか・・・でも、すごく寝たみたいな気がします。」と言って、「あ〜ぁ!」と両腕を後方に伸ばした。
「でも、いいところで目を覚ましましたね。このあたりから少しの間、山が川に迫り、滝がいくつもあり、きれいなところですよ。まず、はじめの滝は、銚子口の滝です。」と言って左手を指差した。木々の間に銚子口の部分がかすかに見えるのだが、彼はすぐに見つけた。
「さぁ、それじゃ、寝起きに首の運動でもしますか?」キョトンとした顔で私を見た。
「次は右手、ほら、あのガードレールのところで右上を見てください・・・はい、ここですよ。見えましたか?ここが、布引の滝。」
「あぁぁぁ・・・見えましたよ。」もっとゆっくり走ってと言わんばかりに答えた。
「雨が少ないと布引じゃなく、糸引きになっちゃうんです・・・さぁ、次は、左。木の中に隠れてますから、一瞬しか見えませんよ。あそこです。蛇和田の滝。蛇が岩場を這っているように見えるからついた名前らしいんです。でも、三段に落ちていることから、三重の滝とも呼ばれています。」身体を前かがみにして、覗くように見ている。
「そちらばかり見ていたら見逃しますよ。次は、右後方・・・」と、その時、かすかに
「ゴキッ」という音を聞いた。
「イテテ・・・」彼の首が鳴った。が、すぐに右後方を見て
「わぉ!これはすごいわ。立派な滝じゃないですか。」首はたいしたことはなさそうである。「この滝は、葵の滝。別名、白見の滝とも那智の裏滝とも呼ばれてますよ。川向左手の岩場を見てください。岩場の中ほどに狭い道があるのがわかりますか?昔の川端の道ですが、このあたりは、山が川岸まで迫ってますので難所だったんですね。後白河法皇がこの先の飛鉢峯の専念上人に祈祷を依頼するため宣旨を送ったところ、険しい道なのでここで引き返したという宣旨(せんじ)返りです。」彼は首の体操ですっかり目覚めたようだ。
「川舟下りも人気ありますから、この次は是非、乗ってみたらどうですか?川舟からの景色も格別ですよ。」その後も、骨嶋、釣鐘岩、飛雪の滝など奇岩や滝が続くドライブコースであるが、なんと言っても、目線を下げて、川舟から見る景色にはかなわない。
また、最近、葵の滝周辺で真っ白な日本カモシカが時々出没するらしい。宮崎駿の「もののけ姫」に登場するようなカモシカが親子で現れるらしい。写真やビデオに撮られた姿が地方紙に載ったこともある。なんとも神秘的である。

コメントの投稿

コメント投稿に関するルール : 登録ユーザ以外のコメントは承認が必要

トラックバック

トラックバックpingアドレス http://www.shinguu.jp/modules/d3blog/tb.php/21
英語版ページ

Facebook

Twitter

新宮弁講座 紀南の写真
今日の天気

人気投稿

三重交通ホームページ内の南紀高速バスページです。 南紀熊野・瀞峡の旅は熊野交通 熊野速玉大社 水の国わかやま
新宮市観光協会 和歌山県新宮市徐福2-1-1 新宮駅構内 電話0735-22-2840 info@shinguu.jp